大蓮院殿の墓(小松姫) 正覚寺(沼田市)

大蓮院殿の墓(小松姫)

大蓮院殿は、真田昌幸の長子 真田初代沼田城主 真田信之(信幸から改名)の正室で徳川家の重臣本多忠勝の娘にあたり小松姫と呼ばれていました。家康は小松姫を養女として天正17年(1589年)に信之に嫁がせました。

信之は小田原征伐の松井田城攻めの戦功で、沼田領が真田家の所領となると、翌天正18年(1590年)7月に沼田城主となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて徳川方に従い東軍につきました。

関ヶ原の戦いで真田家が東西敵味方に別れると、敵方となった信之の父昌幸、弟信繁(幸村)が上田へ帰る途中に立ち寄った際、小松姫が留守を守る沼田城への入城を拒み女丈夫とうたわれました。

元和6年、病にかかった小松姫は、2月に療養のため江戸から草津に来る途中の2月24日に武蔵国鴻巣(埼玉県鴻巣市)で享年48歳で亡り同所で火葬され、勝願寺(埼玉県鴻巣市)、正覚寺(当所)、芳泉寺(長野県上田市)に分骨されました。法名は大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。

大蓮院殿の墓は総高271センチの宝篋印塔で、塔身に「阿弥陀三尊(梵字) 大蓮院殿 英誉皓月 元和六年庚申二月廿四日 施主敬白」の刻銘があり、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表し、沼田市の重要文化財に指定されています。

正覚寺には大蓮院殿の墓以外に沼田市指定重要文化財の正覚寺山門(附 小彫刻「亀仙人」)、沼田市指定天然記念物のコウヤマキがあります。

正覚寺山門 附 小彫刻「亀仙人」

正覚寺山門 附 小彫刻「亀仙人」

正覚寺の山門は入母屋造平入、銅瓦葺の一間一戸の四脚門で、平面規模は正面3.373メートル、側面3.370メートルです。万延元年(1860年)建造と伝えられ、建物全体がケヤキの素木造となっています。正面には千鳥破風を付け向唐破風とし、虹梁唐草絵様、木鼻、台輪や虹梁上部・妻飾などに見事な彫刻が施されています。

彫刻は新田郡山之神村(現在の太田市藪塚本町)の豊琳斎(岸亦八)の作です。

正覚寺のコウヤマキ

正覚寺のコウヤマキ

正覚寺のコウヤマキは、根元周囲7.33メートル、目通り周囲3.59メートル、樹高21メートルで、樹齢は不明です。

コウヤマキは日本特産の針葉樹で、福島県以西の太平洋岸、四国、九州東部に分布し、名前の由来地の高野山には特に多く野生しています。正覚寺のコウヤマキは植栽木ながら稀な巨木で樹勢も良好です。

■参考資料:沼田市教育委員会資料ほか

観光地・施設情報

所在地群馬県沼田市鍛冶町938
お問合せ先正覚寺
電話番号0278-22-2959
料金なし
時間常時、ただし日中などお寺のご迷惑にならない時間帯で
定休日なし
駐車場あり
トイレ
自販機
売店
その他

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