徳川幕府は、18世紀前半、享保の飢饉後、凶作に備えて郷蔵をつくって穀物を貯えることを推奨しました。
幕府が直接おさめる天領であった桐原村(当時)では、当初、私有地の蔵を借りて代用していましたが、1847年(弘化4年)にこの郷原の郷蔵をつくりました。その後、昭和23年の台風で大破したため修理を行い、昭和28年に群馬県の指定史跡となりました。
郷蔵(ごうぐら)文書
村役人(代官所の役人と共に村政をした名主、組頭、百姓代のこと)の扱った御年貢・五人組・人別帖簿類や村民の願書類等が郷蔵にあったため、郷蔵文書といわれています。
貞享2年(1684年)頃より明治初めまでの約3000点、それに明治16年(1883年)頃までの太政官布達類を加えると約5000点の文書があります。この蔵の前の道は銅山街道(あかがねかいどう)で、向かいの藤生家の銅蔵は足尾からの中継のための蔵です。郷蔵文書には、銅山の助蔵(銅運送を助ける村々)についての文章もあります。この郷蔵文書は、多くの学者が研究し世音寺文書という学者もいます。
■参考・転載:みどり市教育委員会資料より
観光地・施設情報
所在地 | 群馬県みどり市大間々町桐原325 |
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お問合せ先 | みどり市役所 教育部文化財課 |
電話番号 | 0277-76-1933 |
料金 | なし |
時間 | 常時(外観のみ) |
定休日 | なし |
駐車場 | 郷蔵前の空きスペース、または世音寺(Tel:0277-72-4057)参拝者駐車場利用 |
トイレ | |
自販機 | |
売店 | |
その他 |