新田荘は、平安時代末期の12世紀中頃に成立した荘園で、源義国(源義家の子)を父とする義重は、太田市西部に位置する早川流域と石田川流域を再開発し19郷を支配下におき、義重はその後さらに37郷を開発し、太田市西部を荘園化しました。総持寺は、国指定史跡の新田荘遺跡の1つにあたります。
総持寺は、別名「新田館の坊」ともいわれ、新田氏の館があったともいわれています。館の居住者は、新田義重、世良田頼氏、新田義貞などの説があります。昭和の初頭までは土塁も残存もあったといいます。
総持寺の梵鐘
総持寺の梵鐘は、享保16年(1731)当山二十一世法印快辨の代に、佐野天明の住人、鋳工太田甚佐衛門藤原秀次によって作られました。
乳の間に乳が無く俗に「いぼなしの鐘」といわれ、あまり類例をみない貴重な梵鐘とされています。この鐘楼は、弘化2年(1845)の世良田略絵図によると、現在の上町会館付近に位置していたとされ、後にここへ移築されたものです。
観光地・施設情報
所在地 | 群馬県太田市世良田町3201-6 |
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お問合せ先 | 太田市観光協会(太田市役所商業観光課) |
電話番号 | 0276-47-1111 |
料金 | なし |
時間 | 常時 |
定休日 | 常時 |
駐車場 | あり |
トイレ | なし |
自販機 | なし |
売店 | なし |
その他 |