由良成繁・国繁父子が桐生を領有した時期は、天正元年(1573年)から天正18年(1590年)までで、成繁の統治は最初の6年間でした。
桐生を攻略した成繁は、天正元年3月弟長敏を城代とし、藤生紀伊守とともに進駐させました。成繁も同年6月領内を巡検し、桐生を隠居城とすることにきめ、金山城を嫡子国繁に譲り、翌天正2年5月桐生に入部し、攻略の功労者である海応のため鳳仙寺を建立し、また町屋を城下町として整備するなど民政に意を用いたが、天正6年(1578年)桐生で死去しました。
墓石は総高125センチメートルの退化型五輪塔で、その各輪に「祖師再来意」の句1文ずつを、また、地輪に「中山宗得居士 天正六年戊寅六月晦日」と陰刻されています。この五輪塔は、その形式から江戸中期のものと思われ、後世に改修されたものです。
成繁の墓は鳳仙寺本堂裏の台地にあります。
参考資料:桐生市教育委員会資料を転用
観光地・施設情報
所在地 | 群馬県桐生市梅田町一丁目1173 |
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お問合せ先 | 鳳仙寺 |
電話番号 | |
料金 | なし |
時間 | 常時 |
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駐車場 | あり |
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自販機 | |
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