満徳寺は、徳川氏の初代義季の娘 浄念尼が開いた時宗の尼寺で、代々の住職は新田の一族から出たというゆかりにより、天正19年(1591)家康は寺領百石を寄進して、当時衰微していた寺を復興させました。
大阪城落城後、豊臣秀頼の妻であった徳川秀忠(母は江)の娘 千姫を入寺させ豊臣家との縁をきりました。その後、本多家(忠刻)へ再嫁(さいか)させ、千姫の身代わりとして侍女の刑部の局が入寺し、俊澄と名を改め住職になったといわれています。
それ以来、幕府から優遇を受けるようになり、寛永12年(1635)三代家光の時寺を再建し、以後将軍家の位牌所として修繕費等をすべて幕府が支払った。この様な徳川幕府を背景に、寺法は権威を持つことになり、縁切寺としての機能を強く発揮することができた。
駆け込み門
駆け込み女たちが主に生活した庫裡から旧本堂を
満徳寺旧本堂
満徳寺 旧本堂内
江戸時代は、一度他家へ嫁したものは、その夫や家人と不和を生じるなどして生家へ戻っても、夫方の離縁状を持たなければ再婚する事ができないという規則があった。立場的に弱い女性を護り、離縁の目的を貫かせた寺として鎌倉の東慶寺と満徳寺の2つの寺が有名であったといわれています。
離縁を目的にこの寺へ駆け込んだ女性は、入寺後、足かけ三年経てば離縁状が入手できたといいます。 寺には寺法による法廷、寺の側らには駈込宿もあったといいます。
観光地・施設情報
所在地 | 群馬県太田市徳川町382-2 |
---|---|
お問合せ先 | 縁切寺満徳寺資料館 |
電話番号 | 0276-52-2276 |
料金 |
【資料館入館の場合】
【共通入館券】 |
時間 | 午前9時30分~午後5時まで(入館は4時30分まで) |
定休日 | 毎週月曜日(月曜が祝日の時は翌日) 年末年始(12月29日~1月3日) ※臨時休館もあり |
駐車場 | 県道298号線沿いにあり(無料) |
トイレ | あり |
自販機 | あり |
売店 | なし |
その他 | 自販機は、県道298号線沿いの駐車場内にあります。 トイレは、駐車場合い向かいの永徳寺側にあります。 |