名胡桃城(なぐるみじょう)は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、史料によれば、天正7年利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に築城されたとされています。
発掘により、名胡桃城址の般若郭には古い居館の址が明らかとなり、掘っ建て柱による建物20ケ所が確認されています。これは名胡桃氏(沼田景久の子 景冬が名胡桃氏を称した)の居館であったと推定されています。
名胡桃城址は、NHK大河ドラマ「真田丸」の放映に伴い、平成27年(2015年)6月から12月にかけて、土塁などの一部を復元する保存整備工事が行われました。
名胡桃城 本郭
名胡桃城 二郭北虎口(本郭は奥)
名胡桃城 二郭門柱跡に整備
名胡桃城 二郭跡
名胡桃城 二郭堀切
名胡桃城 三郭跡
東西を山に囲まれた利根・沼田周辺は、鎌倉時代から戦国時代にかけて沼田氏が支配していたが、戦国時代の天文の頃、小田原の北条氏が利根に進行し利根沼田一帯は北条氏の支配となった。永禄3年(1560)越後の上杉謙信が三国峠を越えて進攻し、山城や砦を攻略し、北条氏の城となっていた沼田城を手中にし、天正6年(1578)上杉謙信が春日山城内で急死すると、北条氏が沼田に進攻し、再び北条氏の支配となった。
謙信が没した翌天正7年~8年にかけて、武田勝頼の命により真田昌幸が吾妻の岩櫃城、利根に入って名胡桃城を始め山城や砦を攻略し天正8年沼田城を調略した。その後、真田氏と北条氏の間で攻防が続くが、天正17年(1589)、関白豊臣秀吉の調停で東と赤谷川の左岸を北条領、西(名胡桃城)を真田領とする裁定を下したが、北条氏の沼田城代となった猪俣邦憲が調略により名胡桃城(城将の真田昌幸家臣 鈴木主水は割腹)を不法に攻略してしまった。
この名胡桃事件に激怒した秀吉は、大名間の私闘を禁じた惣無事令に反したとして、天正17年11月北条氏に対して戦いを宣し(宣戦布告)、全国の大名に命じて小田原攻めを開始し、天正18年小田原の役が勃発した。 名胡桃城は、北条氏の滅亡後、役割を終え廃城となった。
ささ郭から沼田城址方面を
現在は写真右側の山の木に遮られ沼田城址をみることができません。このささ郭は、本郭から外に対してむき出しにならないように設けられた郭で、先端側には袖郭と物見が続き、尾根づたいに下方に通じていました。
観光地・施設情報
所在地 | 群馬県利根郡みなかみ町下津 |
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お問合せ先 | みなかみ町観光協会 |
電話番号 | 0278-62-0401 |
料金 | なし |
時間 | 常時 |
定休日 | 常時 |
駐車場 | あり(国道17号線から名胡桃城址前交差点より入る。名胡桃城址の般若郭に位置する場所) |
トイレ | あり |
自販機 | あり |
売店 | なし |
その他 | 【アクセス】
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