船津伝次平の墓 県指定史跡(前橋市)

船津伝次平の墓

明治三老農の随一とたたえられた船津伝次平は、天保3年(1832年)10月1日、勢多郡原之郷(現在の前橋市富士見町原之郷)に生まれ、幼名を市造といいました。少年の頃から学問に励み、特に和算は関流の皆伝を受け、俳句もたしなみ俳号を冬扇といいました。

伝次平は、農業を工夫研究し、実験を重ねては農業を改良進歩させ、安政5年、27歳で名主となった伝次平は他村の名主たちと赤城山麓に植林し、水源涵養(水源林)のために尽くしました。また、明治7年太陽暦耕作一賢を作り、熊谷県より広く農家に配布しました。

明治10年12月、内務卿大久保利通に見いだされた伝次平は、東京駒場農学校の教師となり、駒場野を開墾して実習地を作り、生徒たちに農学を指導しました。その後、明治18年には農商務省の巡回教師となって農業改良の任にあたり、その足跡は沖縄県を除く全国にわたったといいます。

観光地・施設情報

所在地群馬県前橋市富士見町原之郷551-2
お問合せ先前橋市教育委員会
電話番号027-224-1111
料金なし
時間常時
定休日なし
駐車場なし
トイレ
自販機
売店
その他※文化財登録住所は富士見町原之郷乙539 となりますが、墓所は所在地記載住所の阿弥陀堂の墓地内にあります。
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